沼垂とは
「沼垂(ぬったり)」は、奈良時代の歴史書「日本書記」の中で「渟足の柵(ぬたりのき)」(大和朝廷の砦のようなもの、西暦647年)として出てくる、古くからの地名です。
江戸時代はじめ、沼垂町は日本一長い信濃川と阿賀野川が河口で一緒になるあたりに位置する港町でした。しかし、洪水や浸水などで町が水没し、4回も町ごと引っ越し、1648年に今の場所に定住しました。さらに新潟町と争って北前船を受け入れる権限を失ってしまうという歴史があります。
明治30年代から昭和の初め、北越鉄道(今の信越線)が開通し、その終着駅として「沼垂駅」が開業し、港湾施設や重工業の工場ができたことから、町の人口が増えました。沼垂には、川船を使って生活物資が集まり、交易の場所として繁栄し、酒や味噌、醤油の醸造所が沢山できました。
そんな歴史を経て、今沼垂は、昭和のレトロな雰囲気が残る、どこか懐かしさを感じる町。小路があって、緑豊かで多くの猫がいる町。煙突から出る白い蒸気、廃線と古い町並みが不思議とマッチする町。毎年8月、各町内から大きな灯籠を繰り出し、「沼垂木遣」を唱って、「沼垂まつり」に熱く燃える町。そして、新しいにぎわいスポット、オシャレなお店が並び、イベントでにぎわう町になりました。
そんないろんな発見ができる、「沼垂まちあるき」に是非お越しください。お待ちしております。(「沼垂まちあるきMAP」より)
1955年(昭和30年)頃の栗の木川の風景。現在の栗の木バイパス、栗の木橋交差点付近。橋の向こうに、今代司酒造の煙突が見える。当時は、ここで船遊びをしたり、橋から川に飛び込んで泳いだり。近郊の亀田郷から小舟で物資を運搬していた。沼垂の人たちの生活と物流の川でした。
2017年6月 地域まつり~なじらね沼垂フェスタ~
地元の小学生、中学生からアマチュアバンド、そしてプログループ「マンダム」も揃って出演。ローカル、スローな雰囲気が沼垂の真骨頂。会場の沼垂テラス(旧沼垂青果卸市場)周辺はお寺がならび、かつては沼垂朝市でにぎわい、生活スクランブルでした。
2017年8月 新潟まつり~住吉祭御輿の水上渡御を見送る沼垂木遣り〜
新潟まつりのひとつ、住吉祭の御輿が信濃川を東(沼垂側)から西(新潟側)へ渡御して港の安全を祈ります。それに伴走する大漁旗の漁船。そして、それを見送る、沼垂木遣の浪々たる唱いとお囃子の太鼓と笛の音。
毎年、8月15日、16日に開催される「沼垂まつり」は、沼垂白山神社が行っていた「白山まつり」を昭和40年代後期に継承し、発展してきました。16日夜は沼垂四つ角で各町内の灯籠が激しくぶつかり合う 「喧嘩灯籠」が始まります。祭りの期間中、町のあちこちで「沼垂木遣」の唄い回しが独特の笛太鼓の音に あわせて演じられます。今年も沼垂の夏が熱く盛り上がるに違いありません。
目指すもの
発酵の町、沼垂で造る
新潟市中央区沼垂(ぬったり)は、上越新幹線のターミナル、日本海に面する新潟駅から徒歩1㎞。その歴史をひもとくと、独自の歴史・文化の交流拠点としての役割を担ってきました。江戸時代は、阿賀野川の後背地、蒲原平野からの米の集積地であったことから、明治以降は日本酒醸造元が8軒、味噌・醤油・漬け物等の醸造先が約30軒あり、まさに「発酵の町」として栄えてきました。
私たちは、この「発酵の町 沼垂」というブランドをアピールするために、沼垂ならではのマイクロクラフトビールを立ち上げました。私たちは、「沼垂ビール」を地域限定ブランドとして、多くの観光客が当地を訪ねて、飲食店・酒店などで「活きた酵母が入った、芳醇なクラフトビール」を楽しめる「場」を作ることをポリシーとします。このクラフトビールの高いクォリティーを味わってもらい、沼垂の町に大きな力がよみがえってくることを目指します。
マイクロブルワリーの可能性
まちなかのマイクロブルワリー。小ロット生産、手づくりだからこそ、地域を大切にしたいと願う人達と一緒に、彼らの願いをカタチにするクラフトビール醸造です。 ビール造りを通じて、新潟らしい「食」の豊かさを追求いたします。
地域の食材とのコラボ
~佐渡番茶エール誕生〜
発酵のまち・沼垂のブルワリー
新潟市の沼垂エリアは、江戸時代は新発田藩(現在の新発田市)が治めており、新発田のゆたかな穀倉地帯から新潟・沼垂湊に米が運ばれていました。そして時代も明治に変わり人口増加ととともに、味噌や醤油、酒づくりが盛んに行われました。そんな発酵のまちに、「まちなかのマイクロブルワリー」がオープンしました。2016年、沼垂ビールの誕生です。
お茶フェスとのコラボが誕生のきっかけ
2019年11月開催の「第3回新潟お茶フェスティバル」に向けて、お茶フェス実行委員会では「目玉となるお茶系のアルコール」を模索していました。ちょうど委員会メンバーの勤務先が沼垂ビールと取引があり、打診してもらうと「いいですよ!」と即答。委員会としては、感謝しきれないほどありがたく、うれしいことでした。
佐渡番茶の香りとすっきりとした口当たり
打ち合わせの中で「番茶の方がビールに合う」とアドバイスをいただき、委員会サイドは佐渡番茶を提案しました。まったくのゼロからの開発で、ホップや麦芽の選定、佐渡番茶の抽出方法など試行錯誤をされたことでしょう。そのご苦労から生まれたおいしさは、お茶フェスで証明されました。2日分が1日で完売し、急きょ補充するまでになったのです!
そして、いまや大人気商品に
今年に入り、沼垂ビールでは本格的に商品化。瓶詰めの『佐渡番茶エール』は発売と同時に完売となり、沼垂ビールさんも「まさか、これほどまでは」と驚きをかくせません。ラベルにもこだわりました。沼垂ビールさんが佐渡と沼垂に思いをはせた文章が入り、どうしても使いたかったという金色が輝いています。
ビールで佐渡番茶の復興を応援
佐渡番茶は、江戸時代にも生産が確認されているほど歴史のあるお茶です。ふつうは八十八夜に一番茶を摘みますが、佐渡では米作との兼業がほとんどで、その時期は田植えで忙しい。ひと段落してから葉の付いた茎を収穫して番茶にします。そのため、通常の番茶と比べて甘みと香りが強いといわれています。
沼垂と佐渡をつなぐふたりの善松さん
江戸時代後期、沼垂に橋本善松という人物がいました。熱心な仏教の信者が佐渡の寺院でも参拝できるように、荒れる日本海で、船止めで佐渡に行けない信者のための無料宿泊所を設けるなどの整備に尽力しました。沼垂ビール代表社長の高野さんも名前が善松さん。150年もの時を超えて、ふたりの善松さんが沼垂と佐渡の結びつきに関係していました。
なお、佐渡番茶の栽培・維持管理を手がけている、現地の自立支援NPO法人「チャレンジド立野」様の取り組みは、次のサイトをご覧ください。
https://www.ochafes.com/challengetateno2104/
出典「お茶フェス 新潟お茶フェス実行委員会様 サイト」
撮影/朝妻一洋・小池エリ(クリエイティブ コム)